親子再会譚

「桜川」という話があります。能楽の演目(謡曲)で、狂女物の名曲です。

– あらすじ –
母親の貧困を嘆いた桜子は母を助けようと人買い商人に身を売って、代金を母へ送りました。
事態を知った母は大いに嘆き、桜子を捜す旅に出るのでした。母は常陸の国まで辿り着きました。
狂女と化した母はこの地で、子の名を呼びながら桜川に流れる桜の花びらを掬うのでした。
ここで母は、僧侶の従者になっていた桜子と偶然にも出会い、二人は仲良く日向の国へ帰郷するという物語です。

謡曲には、何らかのいきさつで離ればなれとなった親子が再会するという話が数多くあります。

このような物語を「親子再会譚」と呼ぶことにし、一覧にしてみました。

演目 捜索人 被捜索人 離散理由 結末 作者 種別
桜川 貧困・自ら身売り 再会帰郷 世阿弥 狂女物
隅田川 息子 人攫い 死別 元雅 狂女物
百万 息子 夫病死・不明 再会帰郷 観阿弥 物狂禁制
土車 息子・家来 妻病死→出家 再会 世阿弥 男物狂物
飛鳥川 息子 不明 再会 不詳 狂女物
木賊 息子 不明・出家 再会 世阿弥? 特殊物
歌占 息子 不明 再会帰郷 元雅 男物狂物
花月 息子 はぐれ→出家 再会修行 不詳 芸尽物
弱法師 息子 讒言→追放 再会帰郷 元雅 特殊物
三井寺 息子 人攫い 再会帰郷 不詳 狂女物
雲雀山 讒言→追放 再会帰郷 不詳 狂女物
柏崎 息子 夫病死・出家 再会 榎並左衛門 狂女物

 

これら親子再会譚には、いずれも離散理由は漠然と書かれているだけで、詳しいいきさつは書かれていません。中には、全く触れられていないものまであります。

従って、離散原因の解決など一切触れず、いずれも再会した途端に全てが解決したかのように、連れだって帰郷していくのです。帰郷後の親子関係も良く、その家は富貴となったという話まであります。

例外なのが「隅田川」です。人買いにさらわれた梅若丸は病死し、捜しに来た母と亡霊となって再会するという悲劇が描かれています。

親子再会譚はなぜこのように多く作られ、人気を博してきたのでしょうか。

私はこれらの作品は、思春期の子の親離れを描いているのではないかと思います。子は自立しようと親から離れ、自立を果たして後、そこから新たな親子関係が始まる。そうした親子関係の過程を表現しているのです。

こうした親子再会譚は人間の普遍的な問題である以上、当然他の民族にも見られるはずです。

『新約聖書』ルカ伝にあるイエス12歳のときの話は興味深いものです。

聖書には不思議なくらい思春期のイエスは描かれていません。ルカ伝には数少ない貴重なイエスの思春期のひとこまが残されています。

私はルカ伝の記載をイエスの親離れの様を描いたものと解釈しています。

イエス・マリア・ヨセフの親子はナザレの村人たちと集団でエルサレムのお祭りにやってきます。

お祭りが終わり帰郷する際、イエスの姿が見えません。当初、両親はナザレの若者たちと別の集団をつくり帰路についていると思いましたが、数日経っても姿が見えないのです。

イエスを捜しにマリアがエルサレムに戻ってみると、イエスは神殿で学者たちと議論を交わし論破していました。

しかも心配していたマリアに対し、イエスは「なぜ私を捜すのですか」と言ってのけるのです。

そして、「神の子である私が神殿にいるのはあたりまえです」とマリアの子であることを否定するかのように自己主張をするのでした。

聖書にはこれ以降、子供のイエスは登場せず、成人した神の子イエスが活躍します。

自説を踏まえてピエタ(刑死したキリストの遺体を抱いて嘆き悲しむマリア像)を見るとき、ピエタは親子再会譚聖書編のクライマックスのように思えてなりません。

親子の距離は難しいものですね。正解などないのかもしれません。聖家族ですら、こんな時期があったのですから。